新宮・佐藤春夫記念館で御供茶式(写真付き)

2013年05月06日 16時40分 ニュース, 社会

「望郷五月歌(ぼうきょうごがつか)」や「秋刀魚(さんま)の歌」などの作品で知られる、新宮市出身の文豪・佐藤春夫(さとう・はるお)の命日のきょう(6日)、遺影にお茶を供えて偲ぶ「御供茶式(おくちゃしき)」が営まれ、関係者らおよそ60人が参列しました。

 

お茶が供えられた春夫の遺影(5月6日・新宮市・佐藤春夫記念館にて)


これは、49年前の昭和39年(1964年)5月6日に72歳で亡くなった佐藤春夫の遺徳を偲ぶため、毎年命日のこの日に行われています。

式典はきょう午前10時から、新宮市の世界遺産・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)の境内にある佐藤春夫記念館で行われ、はじめに、辻本雄一(つじもと・ゆういち)館長が、大正15年に春夫が雑誌に投稿した随筆で、山の木々が映える初夏の新宮の情景を好んだことを紹介しました。辻本館長は「望郷五月歌が世に出る前にこの随筆を発表していたことからも、春夫の熊野への愛情が伝わってくる」と述べました。

続いて、新宮市の田岡実千年(たおか・みちとし)市長も、先日、東京・文京区(ぶんきょうく)で営まれた春夫の50回忌法要に参列した様子を振り返りました。そのうえで田岡市長は「春夫の愛した新宮の歴史・文化・自然を成熟させねばならない」と述べました。

 

お茶を供える裏千家淡交会南紀支部の会員(5月6日・佐藤春夫記念館にて)

このあと、茶道裏千家(ちゃどう・うらせんけ)・淡交会(たんこうかい)南紀支部の会員らがお茶を点て、春夫の遺影に供えたほか、声楽家の濱中規子(はまなか・のりこ)さんが春夫の「望郷五月歌」に旋律を付けた曲を歌い、偉業を偲んでいました。

 

濱中規子さん(5月6日・佐藤春夫記念館にて)