板東三津五郎さん死去・2008年に道成寺へ初参拝

2015年02月23日 10時04分 ニュース, 社会

人気歌舞伎俳優で日本舞踊・板東流家元の十代目板東三津五郎(ばんどう・みつごろう)さんが、今月(2月)21日、すい臓がんのため59歳で亡くなりました。三津五郎さんは、7年前・2008年の11月13日、自らの舞台の成功祈願のため、初めて日高川町(ひだかがわちょう)の道成寺(どうじょうじ)を参拝していました。

踊りの名手で「勧進帳」の弁慶などの荒事(あらごと)を得意とし、テレビドラマや司会でも活躍した三津五郎さんは、当時、東京の歌舞伎座で行われた「十二月大歌舞伎(おおかぶき)」で「京鹿子娘道成寺(きょうがのこ・むすめどうじょうじ)」の白拍子・花子を演じるのに先立ち、初めて安珍清姫(あんちん・きよひめ)ゆかりの道成寺を訪れました。

道成寺には人間国宝の故・中村富十郎(なかむら・とみじゅうろう)さんや、故・中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう)さん、中村福助(なかむら・ふくすけ)さん、それに上方歌舞伎の坂田藤十郎(さかた・とうじゅうろう)さんなど、大看板が相次いで参拝していて、三津五郎さんの初参拝も、町長や町民、それに大勢の歌舞伎ファンが盛大に歓迎しました。

この時、副住職だった小野俊成(おの・しゅんじょう)住職が寺の由来や清姫について三津五郎さんに説明し、本堂の千手観音像に舞台の成功を祈願しました。

和歌山放送の取材で和歌山県の印象について聞かれた三津五郎さんは「私たち大和屋(やまとや)・板東家は、紀伊国(きいのくに)出身の紀伊國屋(きのくにや)・澤村家(さわむらけ)の作った道行き(みちゆき・曲)で踊るのですが、阪和自動車道で見たみかんの絵の看板から、○(まる)にひらがなの「い」で紀州みかんを模した澤村家の定紋(じょうもん)を連想しました。並々ならぬ縁を感じています」と話していました。